気仙沼へ①


先週、気仙沼の親戚に会いにいってきました。

気仙沼港の川の側の父親の実家は地震では、何一つ物は落ちなかったそうです。
が、津波ですべて流され、土台だけが残っていました。


そこからの風景です。





















叔母の自宅も流されました。47年続いたお店でした。
後に、避難所から従兄弟のゆうちゃんは、弟を捜索しながら、大漁旗を見つけ、洗っては持ち主に還したり、びん玉を集めて、お手製の慰霊スペースを作っていったそうです。
跡地、そこは、気仙沼グランドゼロ〜風の広場になっていました。毎日、海に沈みます。

連れて行ってもらう車中から、独特な匂いとともに、港のすぐ近く、ガレキの風景が続きます。
ただ、そこだけが、突然、ポッと、別次元な感じで大切さが伝わってきました。
周りからは、何やってんだか?と言われたりしてたみたいだったけどね(苦笑)


横浜、長崎、徳島など、各地から応援と復興への物語が動き出して、破れた大漁旗は、横浜で、150人の手によって修復されて、持ち主の元へ返ったそうです。

次は千葉に大漁旗が行くと思います。

711は月命日は、ここで慰霊祭が行われたと思います。












余談ですが、ゆうちゃんは、震災前日3/10にブログで、3/20前後の地震に気をつけてと書いて、3/11は朝5時から地震の直前まで胸騒ぎで地震の確実性を高めようとしたけど、はっきりせずあきらめた時、ぐらっと来たそうです。そのあとは、避難するしかなかったそうです...下記で、気仙沼の状況が伝わればと思います。

気仙沼グラウンドゼロプロジェクト~引き裂かれた大漁旗編

気仙沼 鹿折地区




この船は、そのまま残すそうです。

どこまでも続くガレキの風景、言葉になりませんでした。

ただ、叔母たちや出会った人たちの生きる力はすごいです。

つづきはまた...